Rayeの日記

ドラクエ、ポケモン、音ゲー(BEMANI)など、好きなゲームのことを中心に適当に書いているブログです∩・ω・)∩

Nintendo Switch「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて S」(ドラクエ11S)のドゥルダの大修練場「連武討魔行」にて、裏の試練で12手クリアを達成しました。

(※追記)10手に更新しました。

 
以前セーニャ呪文継承バグについての記事を書いた時に、そのバグを利用した11手クリアの動画を上げましたが、今回はバグ利用なしの正攻法での記録です。


以下、解説を書いていきます。

・1戦目
ケイオスブレードを装備した主人公で開幕バイキルトを引きます。引けないとどうしようもないため、引けるまでリセットを繰り返します。マルティナのバイシオンは必須ではありませんが、あったほうが成功確率が上がるため、ブラッドスピアーと弁天のどうぎは装備させておきます(ちなみに、両方同時に発動するとバイキルト状態になります)。また、3人とも事前にゾーンに入れておきます。
マルティナはトロルボンバーにばくれつきゃくを使いますが、バイシオンなしの状態だと7発中2発ほど会心が必要になります。そのため会心率は盛れるだけ盛っておきます。
ロウは獣王大連撃をはめつの使者に使います。武器の属性が乗るため、あくま系に強い女神の杖を装備させます。はめつの使者に先攻されてスクルトを使われては困るので、ロウは装備品ですばやさを上げてありますが、2ターン目にロウに動かれては困るため、すばやさ装備は攻撃前に全て外します。
主人公はトロルボンバーにつるぎのまいを使いますが、倒しきれるかどうかは1ターン目のマルティナのばくれつきゃくのダメージ次第です。動画では運良く2回も会心が出ていますが、会心ゼロでも足りていたと思います。武器は右手はドラゴンスレイヤーを選択し(後述)、左手は無属性で攻撃力重視にします。また、次のターンに確実にロウより先に行動するために、ほしふるうでわを1つだけ装備させてあります。
2ターン目ですが、マルティナはギガデーモンに竜虎撃を使います。タイガークローに主人公の通常攻撃を足した技です。それぞれの装備している武器の属性が乗るので、光属性である聖竜のえんげつとうを装備します。ドラゴン系に強い神竜のツメでも良いと思います(両方試しましたがほとんど差はありませんでした)。1ターン目に主人公に装備させたドラゴンスレイヤーはここで生きてきます。
主人公はギガデーモンにつるぎのまいを使います。念のため左手もドラゴンスレイヤーに持ち替えます。
ギガデーモンとトロルボンバーが結構武器ガードをしてくるので、主人公がバイキルトを引けたとしてもそこからの突破率はそこまで高くなかったりします。

・2戦目
ぶんしん→デュアルブレイカーの2手で倒せます。動画ではダークスターの効果でバイキルトがかかっていますが、バイキルトがなくても足ります。とはいえ、メガモリーヌもこちらの攻撃をガードすることがあるため、少しでも火力は盛っておいたほうが安全です。
メガモリーヌは全属性が弱点なので、属性持ちのブーメランで攻撃します。

・3戦目
おなじみのクロスマダンテ。特に言うことはないです。

・4戦目
ケイオスブレードを装備したグレイグで開幕バイキルトを引きます。引けなかったらやり直し……と思いきや、引けなくてももうワンチャンスあります。動画はそのもうワンチャンスが成功したパターンです。シルビアにも一応ヴォイドアンカーを装備させていますが、こちらのバイキルトは必須ではありません。また、シルビアは事前にゾーンに入れておく必要がありますが、すばやさ調整のため逆にグレイグはゾーンに入れると支障が出ます。
ニマ大師はこちらの1手目の行動前に確定でみかわし率を上げてくるのが厄介です。開幕グレイグにバイキルトがかかっていた場合は、1手目にシルビアの極竜打ちでみかわし率上昇効果を消しますが、バイキルトが来なかったため、ここは仕方なくバイキルトを使います。
2手目ですが、ニマ大師は光属性が大弱点のため、二刀アポロンのオノで蒼天魔斬を使います。1手目に極竜打ちを使っていた場合は何も問題がないのですが、使っていなかった場合は、ここが当たるかどうかは運になります。今回は運良く当たりました。
2手目終了後、ニマ大師は結構高い確率でほほえみかけを使ってきます。食らうと1手休みになり終了です。これはスーパーリングでも防げないようなので、ここも完全に運になります。
3手目はおしおき無双を使用します。おしおき無双は「シルビアの通常攻撃の1.1倍+グレイグの通常攻撃の3倍」のダメージを与える技で、要するにほぼグレイグの技なので、グレイグのバイキルトが重要になります。それぞれの装備している武器の属性が乗るので、使う前にシルビアの武器を光属性のライトシャムシールに持ち替えます。
あまり知られていないことかもしれませんが、れんけい技は「幻惑」「みかわし」「盾ガード」「武器ガード」などの影響を受けません。要するに、大まじん斬りのような特殊なものを除けば、れんけい技は必中なのです。また、ニマ大師のすばやさは1なので、通常はシルビアとグレイグの間に行動することはないのですが、一定以上のダメージ(※詳細な値は未検証)を与えると、その段階でニマ大師はみかわし率上昇効果をすぐに解除します。つまり、1手目にみかわし率上昇を解除していなくても、最初の蒼天魔斬さえ当てることができれば、その後はなんとかなってしまうのです。
4手目は蒼天魔斬でも事足りたのですが、もろば斬りにしたのはただのおふざけです(笑)。というのは半分冗談で、もろば斬りは威力も会心率も蒼天魔斬より高いため、万全を期すのであればこちらのほうがオススメです。


今回の12手クリアの解説は以上となります。
ちなみに、ニマ大師のみかわし率上昇を消す必要がないのであれば4戦目は3手いけるんじゃないかと思い頑張ってみましたが、1手目と2手目でダメージをたくさん与えると2ターン目開始前に黒竜丸とレジェンドホースを召喚してしまったため、この検証は徒労に終わってしまいました(ニマ大師のHP9,600の半分である4,800か、あるいはキリよく5,000あたりがラインでしょうか。※追記:公式ガイドブックの記載によると、残りHPが40%以下になると召喚するようです)。4戦目は現実的には4手が限界なんじゃないかなあと思います(4戦目にぶんしんデュアルブレイカーやクロスマダンテを使えるなら話は別ですが)。
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Nintendo Switch「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて S」(ドラクエ11S)の追加ボス「失われし時の災厄」「失われし時の怨念」戦にて、8手クリアを達成しました。これが最短(最速)なんじゃないかなあと思ってますが……どうでしょう。



大まかな流れとしては、カミュのぶんしんタナトスで災厄と怨念のそれぞれのHPを削ったあと、クロスマダンテで締めなのですが、クロスマダンテを撃ったあとが一番の問題です。
災厄と怨念のHPはそれぞれ20,000ですが、1体ずつ前に出ている時にどれだけたくさんダメージを与えていたとしても、2体行動の際にHPが6,000ずつ残る仕様になっています。そのためクロスマダンテで5,994ダメージを与えてもギリギリ削り切れないため、やいばのよろいやひかりのドレス(ひかりのタキシード)によるダメージ反射を利用して、こちらの手数を消費せずに削り切るという手法です。
ダメージ反射の構成は「やいばのよろい1人+ひかりのドレス3人」か「やいばのよろい2人+ひかりのドレス2人」かで迷いましたが、クロスマダンテ後に高確率で怨念がマヒャデドスを使ってくることなどを考慮し、「やいばのよろい1人+ひかりのドレス3人」の構成を採用しました(でもどちらでも好みでいいような気がします)。やいばのよろいの物理反射確率は50%、ひかりのドレスの呪文反射確率は20%になります。


以下、細かい解説を書いていきますが、結構な長文です。
クロスマダンテを撃つところまでは概ね既出の戦術なのですが、改めて書いていきます。

・1手目(1ターン目の1手目) カミュ:ぶんしん
ダークスター両手装備のカミュで開幕バイキルトを引きます(確率19%)。引けなかったらやり直し。
必ずカミュ(orシルビア)に先攻させるため、残りの2人はすばやさの低いロウとグレイグにしておきます。また、みかわし率が上がるため、カミュはゾーンに入れておきます。逆に、すばやさが上がってしまうため、グレイグはゾーンに入れないほうが良いです。
入れ替えによって、カミュとシルビア以外の2人の手番を消します。DQ11の戦闘は1ターンの間にパーティの4人がそれぞれ1回ずつ行動する仕様になっていますが、入れ替えを行ったキャラはそのターンに手番が回って来なくなるため、行動させたくないキャラを入れ替えることで手数の短縮になります。なるべくロウと主人公の2人にダメージを受けてもらいます(今後も同様です)。その後ぶんしん。
災厄の1手目は必ず「れんごく火炎+あばれまわる」です。れんごく火炎の追加効果による攻撃力ダウンをカミュが食らったらやり直し。
(※追記:竜のおまもりを利用して炎耐性100%にしていればこんな不毛なやり直しをせずに済んでいたようです……自分の詰めの甘さよ……)

・2手目(1ターン目の2手目) シルビア:ひゃくれつキッス
次のターンに確実にカミュに先攻させるため、主人公を引っ込めてグレイグを出します(れんけい技を使うために、どのみちグレイグが必要ですが)。このすばやさ調整は、カミュにすばやさのたねを積んでおけばそこまで気を配らなくてよいのですが、今回は積んでいないのでこまめな入れ替えによって対応しています。というか、次のターンにカミュではなくシルビアが動いてしまって失敗になることも(かなり低確率ではありますが)ありえますので、本当はすばやさのたねを多少カミュに使っておいたほうが良いんですよね。ですが、個人的にあまりすばやさのたねは使いたくない(使ってしまうとすばやさを下げたいときにどうしようもなくなるため)ので、今回は入れ替えや装備品でなんとかやりくりしています。
入れ替え後、シルビアで毒を入れます。ヴァイパーファングでも可能ですが、ここはひゃくれつキッスを使います。あまり使わないため存在を忘れそうになってしまうれんけい技ですが、毒が完全無効の相手以外であれば確定で毒にできるので、ここで使わない手はありません。シルビアを事前にゾーンに入れておくことを忘れずに。

・3手目(2ターン目の1手目) カミュ:タナトスハント
入れ替えによって、カミュとシルビア以外の2人の手番を消します。
災厄は炎が弱点なので、サラマンダーに持ち替えてタナトスハントを撃ちます。弱点を突かなかった場合は削り切れないことがあるので、必ずサラマンダーを使います。
ダメージを与えたあと、確定でいてつくはどうが来ます。その後、災厄と怨念が入れ替わります。

・4手目(2ターン目の2手目) シルビア:ヴァイパーファング
すばやさ調整のため再度グレイグを出します。
その後二刀流に切り替えてヴァイパーファングを撃ちます。成功確率は50%以上はあると思われますが、ひゃくれつキッスと違って残念ながら確定ではありません。毒が入らなかったらやり直し。怨念は全属性耐性持ちなので、必ず無属性の短剣を使います。少しでも多くダメージを与えるため、左手はできるだけ攻撃力の高い短剣を装備させます。
この動画では4手目にヴァイパーファングを使いましたが、シルビアのHPが大きく減っていた場合は、守りを重視して先にバイキルトを使うことも検討します。

・5手目(3ターン目の1手目) カミュ:ぶんしん
入れ替えによって、カミュとシルビア以外の2人の手番を消します。その後ぶんしん。
このへんで怨念がかなりの高確率でいてつくはどうを使ってきます。使われたら最初からやり直しです。いてつくはどうではなくジゴスパークが来たらアタリです。ここでジゴスパークのダメージを軽減するために、カミュには海賊王のぼうし(雷属性のダメージを50%軽減)装備させています。

・6手目(3ターン目の2手目) シルビア:バイキルト
すばやさ調整のため再度グレイグを出します。
ここでシルビアの仕事は終わりになるので、少しでも多くダメージを受けて確実に死ねるよう(後述)、念のため装備を外します。その後バイキルト。

・7手目(4ターン目の1手目) カミュ:タナトスハント
入れ替えによって、カミュ以外のバトルメンバーの手番を消します(これ、動画ではシルビアの手番を消していないのですが、ちゃんと消さないと相手より先にシルビアが動いてしまうこともありえたのでは……危ないですね)。また、グレイグ+女性3人を確実に控えにしておきます。
無属性の短剣二刀でタナトスハントを撃ちますが、乱数次第で削り切れないことがあるので、少しでも成功確率を上げるため、装備品によって会心率を上げています。この動画では残念ながらタナトスハントのダメージがかなり低めに出てしまい、正直この時点で半ば諦め気味でしたが、奇跡的に8手クリアとなりました(後述)。
ダメージを与えたあと、確定でいてつくはどうが来ます。その後、災厄と怨念が両方前に出てきます。
ここで攻撃を受けると、ちょうどいい感じにバトルメンバーの4人全員が死んだ状態になります(というか、そうなるようにHP調整に気を遣っていました)。そうすると、手数消費なしで自動的に控えの4人と入れ替わります。

・ポイズンスケイル(ほぼ余談)
カミュが怨念にタナトスハントを使う際、攻撃力999であれば無属性の短剣なら何でもよかったのですが、少しでも8手クリア成功確率を上げるために何かないかと考えた結果、試しにポイズンスケイルを装備させてみました。ポイズンスケイルには「攻撃時16%で猛毒付与」の効果がありますが、公式ガイドブック(PS4版)によれば、この効果はヴァイパーファングには適用されないものの、タナトスハントには適用されるとのこと。ですのでタナトスハントを撃った際にもう一度毒にできないかと考えました。
ですがこの試みにはおそらく意味がなかったと思われます。まあやる前からそうだろうなと思ってはいたのですが、おそらくポイズンスケイルによる毒付与の判定のあとに、タナトスハントによる毒解除の判定が行われているものと思われます。この試みで毒が付与されたことは結局一度もありませんでした。
(※追記)
毒状態でない相手にポイズンスケイル+タナトスハントで殴った場合は毒が付与できる(毒が残る)ため、「ポイズンスケイルによる毒付与の判定のあとに、タナトスハントによる毒解除の判定が行われている」という説明は適切ではなかったです。すみません。おそらくですが殴った時点での相手の状態に影響されており、
ポイズンスケイル:殴った時点で相手がすでに毒状態であるため、これ以上の毒付与はできない
タナトスハント:毒状態の相手を殴っているため当然毒状態が解除される
といった感じで個別処理されていると考えたほうが自然かもしれません。

・8手目(5ターン目の1手目) ベロニカ:クロスマダンテ
ベロニカを確実に最初に動かすため、装備でベロニカのすばやさをできる限り積んであります。ここも本当はベロニカにすばやさのたねを使っておいたほうが望ましいです。
クロスマダンテのあと少しでも多く敵の攻撃を受けたいので、手番がまわってきた段階ですばやさ装備は必ず全て外します。そして、ここで忘れずにひかりのドレスを装備させます(念のため毛皮のフードも装備させる予定でしたが、わたしのミスで忘れました)。もちろん、グレイグにはやいばのよろいを、マルティナとセーニャにはひかりのドレスを事前に装備させています。
また、ベロニカ以外の3人の手番は入れ替えで消しておき、グレイグを先頭に配置します。クロスマダンテ後にそのターンの災厄と怨念の攻撃を全て受けてなお倒せなかった場合でも、もし次のターンで相手が先攻すればもうワンチャンスあります。

・8手目のあと
クロスマダンテを使うところまではまあまあたどり着けるのですが、最初に述べた通り、一番の問題はこのあとです。ここで上手いこと災厄と怨念の両方にダメージを反射できなければ、最初からやり直しになります。
少しでも攻撃反射のチャンスを増やすために、できるだけ多く相手の攻撃を受けたいので、1回あたりの被ダメは極力抑えたいところですが、通常攻撃やメラガイアーを盾ガードしてしまったら悲しいので盾装備は避けました。英雄王の剣を装備のうえ先頭に配置したグレイグに通常攻撃が来たのはこちらの狙い通りではありましたが、それでもそこまで確率が高いものでもありませんので、最終的には上手くいくよう祈るしかありません。
また、先に述べた通り、今回の動画では2回目のタナトスハントのダメージがかなり低めに出てしまっており、これだとマヒャデドスの反射が1人だけだったら怨念を倒せていませんでした。3人中2人が反射したのは本当にラッキーでした。

・反省点
この動画では8手目開始前までに主人公が死に、次のターンの攻撃をグレイグ(英雄王の剣装備)が受けるという、こちらが想定していた一番理想的な形になっていますが、すばやさ調整の都合上どうしてもグレイグを何度か戦闘に出さざるを得ないため、先にグレイグが落ちた場合の次善策として、逆に主人公を最後の攻撃の受け役にするパターンも想定していました(むしろこうなることのほうが多かった気がします)。その際、少しでも勝率を高めるために、主人公には両手剣(最も武器ガード率の高いひかりの大剣)を装備させ、やいばのよろいの反射と併せてガードカウンターも狙っていくべきでした。
実はこの方法、初めは試していたのですが、武器ガードしたにも関わらずカウンターが発生しなかったため、途中から不採用としました。でも、あとから考えてみると、おそらくカウンターが発生しなかった原因はそのとき受けた攻撃が「あばれまわる」だったからで、通常攻撃であればきちんとカウンターが発生するのではないかと思われます。これはおそらくやいばのよろいも同様で、「あばれまわる」を受けたときに反射が発生したのを見たことがありません。物理攻撃ならなんでも反射するものかと思い込んでいましたが、どうも基本的には通常攻撃(及びそれに類するもの)に限られるようです。
……と、ここまで書いたあとで公式ガイドブック(PS4版)をよく読んでみたら、カウンターが行える攻撃については「ダメージを与えてくる攻撃のなかで、対象がひとりだけのもの」としっかり明記されておりました。


かなりの長文になったうえに余談みたいなのも多かったですが、ひとまず解説は以上とします。
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※この不具合は2019年10月23日実施のアップデートにて修正済みです。

タイトル及び動画のとおりですが、Nintendo Switch「ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて S」(ドラクエ11S)にて、ウルノーガを倒し過去に戻ったあとも、セーニャがベロニカの呪文を使えるという状況になってしまいました。まあまず不具合かと思われます。
全ての呪文を使えるわけではなく、ベロニカがレベル31で覚えるバイキルトまでを習得しており、レベル36で覚えるヘナトス以降の呪文については、セーニャのレベルが上がっても習得していません。
おそらく、過去に戻った時点でのセーニャ(あるいはベロニカかも)のレベルに応じて、そのレベルまでにベロニカが覚える呪文を覚えているものと思われます。自分が過去に戻ったとき、セーニャのレベルは34でしたので。
ラムダでのアイテム増殖技同様に、オーブを6つ集めてラムダの長老に話しかけたタイミングで判定が行われているものと思われます。だとすれば、仮にこの段階でセーニャ(あるいはベロニカかも)のレベルを70まで上げていれば、過去においてベロニカの呪文をマダンテまで全て習得したセーニャを使うことも可能かもしれません。

肝心のこの不具合の発生条件ですが、今のところ何も検証していないので不明です。
ですが、発売から6日目の時点で、私の観測範囲では他にこうなった話を全く聞かないので、無条件でこうなるわけではないのかなと思います。
何か変わったことをやったかなあと思い返してみましたが、私はウルノーガを3Dモードで倒したあと、過去に戻る前に一度3D→2D→3Dの行き来をしました。残念ながら思い当たる節はこれくらいですが、気になる人は検証してみてください(※結局あとで自分で検証したので以下にまとめました)。

(※追記)
残念ながら(?)ずっとこのままというわけにはいかず、一度ヨッチ村に行ったらもとに戻ってしまいました。2Dモードに切り替えても同様です。

(※追記2)
上記の方法でバグを再現できました。
別にウルノーガを倒した後でなくてもセーニャ覚醒後ならいつでもよいのかも知れませんが、3Dと2Dの行き来が条件なのは間違いなさそうかなと思います。
過ぎ去りし時を求めたあと普通にレベル99までセーニャを上げたあと、3D→2D→3Dの切り替えで「そろった6つのオーブ」(ラムダ前)から始め、そこから更に進めウルノーガ後に再度3D→2D→3Dの切り替えを行えば、その後過ぎ去りし時を求めた段階でマダンテまで覚えたセーニャが出来上がります。

(※追記3)
ラムダ前まで戻る必要はありませんでした。レベル99のデータで2D3Dの切り替えを行い「復活した命の大樹」(ウルノーガ討伐直後)から始めればOKです。ただしこの方法を使ったらセーニャ以外の仲間のスキルポイントもちょっとおかしくなってしまった(神の民の里での力解放後、パネルは全部開いてるのにポイントが-10になった。アタリパネルを再度開ければ直るかと思いきや、今度は数ポイント余剰が出た)ので、気にするならラムダ前まで戻ったほうがいいかもしれません(切り替え前に神の民の里の力解放をやってるかどうかも関係してるのかも?※未検証)。まあそもそもセーニャのスキルポイントはどのみちおかしくなるんで、意図的にこのバグ使う人はあんまり気にしないかもしれませんが。
なお、「過ぎ去りし時を求めて」(過去に戻ったあと・仲間合流前)から始めた場合はダメでした。覚醒セーニャがいる状態で2D→3Dの切り替えを行うことが条件で、覚える呪文は合流時のレベルによるのかなあいう感じです。

このセーニャを使い、ドゥルダの大修練場 連武討魔行 裏の試練を11手でクリアした動画を上げました。
正攻法ではないものの手数の短縮が狙えたので、せっかくなのでやってみました。

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2006年春、無事に大学に合格した僕は上京した。DDR SuperNOVAの稼動開始予定は7月だったのでもう目と鼻の先なのだが、SuperNOVAが稼動するまでの数ヶ月の間DDRを全くやらないわけはなかった。渋谷から2駅のところに引っ越したため、渋谷でDDR EXTREMEが稼動しているゲーセンを探したところ、幸いにも存在していたため、そこが僕の新しいホームとなった。今は無き渋谷会館である。

一番たくさん足を運んだのは渋谷会館だったが、他にEXTREMEのあったゲーセンだと、池袋BSGにも少しだけ行ったことを覚えている。このゲーセンはSuperNOVA以降も何かと縁がある思い出の場所である。EXTREMEの時は確かBSGのDDRは2台置いてあっただろうか(違ってたら申し訳ない)。また、DDR以外の音ゲーの設置台数がどれもこれも多く、東京の凄さに改めて驚愕した覚えがある。


SuperNOVA稼動までたった数ヶ月ではあったが、その期間にもDDRつながりでちらほら知り合いができた。渋谷会館にもコミュニケーションノートが置いてあったため、そこから始まる交流もあった。DDRで僕と知り合った人はほとんどSuperNOVA以降だと思うので、EXTREMEの頃の僕を知っている人は結構レアである。

ちなみに当時の僕は、親しくなっても相手の本名を知らないままハンドルネームで呼び合うというオタクの文化を本当に知らなかったので、何人かには相手の本名を素で尋ねた覚えがある(SuperNOVA稼動後もしばらくやってたと思う)。そのたびに怪訝な顔をされるのだが、大体みんな教えてくれた気がする。もし当時それで不愉快な思いをされた方がいたら申し訳ない。


大学入学後わりとすぐに授業をサボりがちになり渋谷会館に通う日々を送っていたが、あるとき渋谷会館にてDDRがめちゃくちゃ上手いプレイヤーを見かけた。それが僕とJun-Gさん(通称タンクさん)との出会いだった。タンクさんと親しくなったのはSuperNOVA稼動後だったと思うが、以後タンクさんにはたくさん構っていただき、タンクさん経由でDDRの知り合いもたくさん増え、それに比例するようにDDRのモチベーションも高くなっていったので、タンクさんとの出会いがなければ今の僕はないと言っても過言ではないのである。

渋谷会館で初めて見たタンクさんのプレイはとにかく上手かったので、やっぱ東京は違うなと思ったことを覚えている。タンクさんと僕以外にDDRをプレイする客はほとんどおらず、基本的に2人で交互にプレイしていた。その時タンクさんのプレイを見て気づいたのだが、タンクさんは特定のいくつかの曲を練習しているようだった。実は、近い内に都内近郊のゲーセンでDDRの大会が開催される予定があり、僕もたまたまネットで見かけてそのことを知っていた。タンクさんがプレイしていた曲の大半がその大会の課題曲だったため、僕は「この人はその大会に出る予定があり、その練習をしているんだろうな」と察したのだった。

それを知った途端、僕よりも上手い人が大会のために練習している貴重な時間を、僕がプレイすることで半分奪ってしまっていることが非常に申し訳なくなってきた。耐え兼ねた僕は、帰り際に「すみません、大会の練習の邪魔になりませんでしたか……?」と、タンクさんに声をかけてしまった。そんなこと言われたって言われたほうも反応に困ると思うのだが、その時の僕はそれを言わずにいられなかったのだった。その時のタンクさんの返事は「いえ、順番なんで……」という、まあそりゃそうなるよなという感じのものだった。これがタンクさんと僕の初めての会話である。

このことは後にタンクさんからもネタにされて、「昔のお前はあんなに腰が低かったのにな〜」といじられたりしたのであるが、僕はいつだってタンクさんへの感謝と尊敬の念を忘れたことはないのだ。


そして2006年7月、ついに待ちに待ったDDR SuperNOVAが稼動を開始した。ここから先は本当にたくさんの思い出があるのだが、元々このDDR思い出語りは、東京でDDRの知り合いがたくさんできる前の話をするために始めたものなので、ひとまずこの記事を最後に更新は終わろうと思う。SuperNOVA以降の話も読みたいという人もいるかもしれないが、ご容赦いただきたい。

そもそもSuperNOVA以降の話なんて書き始めたら、これまでとは比べ物にならないくらい凄まじい分量になってしまう。2ndからEXTREMEまで約7年間の思い出を17回に渡って書いてきたが、プレイ回数だけ見ても、その7年間におけるアーケードDDRのトータルプレイ回数を、1年間のSuperNOVAだけで悠々と超えてしまっていると思う。ちなみにSuperNOVA及びSuperNOVA2のプレイ回数は、どちらも3400回ほどであった。

とはいえ、SuperNOVA以降の話を書くつもりが一切ないかというとそういうわけでもない。いつになるかはわからないが、そのうち気が向いたらまた続きを書くかもしれない。


最後に、このブログの古い記事はほとんど削除してしまっているのだが、SuperNOVA稼動日の日記SuperNOVAでONE MORE EXTRA STAGEを初めてクリアした時の日記のデータが残っていたので、特別に再公開することにする。


以上、ここまでお付き合いいただきありがとうございました∩・ω・)∩


終わり。
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DDR EXTREMEの思い出語りもいよいよ終盤に突入し、この記事では自分の高校2年(後半)〜高校3年頃の話をしていく。この時期になってくると、次第に大学受験の準備で忙しくなり、ゲームセンターにも足を運ばなくなっていった……ということは一切なく、普通に音ゲーを続けていた。とはいえ、EXTREME稼動開始から2年も経つと結構飽きてきており、この頃の自分はどちらかと言えばdrummaniaをメインにプレイしていたくらいだった。また、家庭用でDDR FESTIVALが発売されていたため、PS2のあるネットカフェでたまにプレイしていた。


プレイ回数はかなり減っていたDDRだったが、ちょっとずつ実力は向上していた。この時期に出したDDRのスコアでとても印象に残っているものが2つある。

1つはMAX 300の激譜面で初めてAAを出したことである。正直なところ発狂譜面に取り組むことには消極的ではあったのだが、それでもやはり「MAX 300でAA」というのは、DDRMAXの頃から抱いていた1つの大きな目標であり、また、発狂譜面に対する実力を示す1つの指標であるとも思っていたため、達成したときの喜びは大きかった。

もう1つは、激譜面で初めてPFCを出したことである。というか、当時の僕はアーケードでは楽譜面や踊譜面をほとんどプレイしていなかったため、アーケードでのPFC自体これが初めてであった。ちなみに達成したのはsyncの激譜面で、正直もっと簡単にPFC出るやつ他にあっただろと思うが、まあ当時は特にPFC狙いを頑張っていたわけではなく、たまたまPFCが出たという感じであった。初PFCについてはMAX 300 AA以上に嬉しくて、達成したときはゲーセン内の他の場所にいた友人をDDR筐体のところまで呼び寄せて、「見てこれ!! ヤバくない?! ヤバくない?!」と騒ぎ立てた覚えがある。


高校3年になると、生活環境も変わった。学校の方針で、3年生は全員寮を出て、学校周辺の下宿に住むことになっていたのだ。それにより、寮の規則から解放され、携帯電話を所持できるようになった(実際は寮でもこっそり持っていたが)。その結果、ここしばらくご無沙汰であった音ゲーの個人ファンサイト巡回をまたちょいちょいやるようになった。とはいえ当時のガラケーではPCサイトなどまともに見られないので、見ていたのは携帯サイトである。また、サイト巡回に伴い、やはりハンドルネームがないと不便だという判断に至り、「Raye」という名前を使い始めたのであった。

ちなみにこの「Raye」という名前、知っている人も多いと思うが、当時流行っていた漫画デスノートの登場人物であるレイ・ペンバー(Raye Penber)からまんまパクったものである(恥ずかしいので正直後悔している)。このハンドルネーム、人と被らないという点では優れていたが、初見で正しく読んでもらえないという致命的な欠点があった。それで今では苦肉の策として、Twitter IDの「rayeddr」から派生した「れいでであ」と名乗っているが、別に「Raye」という名前を捨てたつもりはなく、「れい(Raye)」が名前で「でであ」が苗字という感覚である(?)。音ゲーのカードネームには今でも「Raye」を使っている。

少し話が逸れたが、いろんな携帯サイトに顔を出し掲示板で交流していくうちに、自分もホームページが欲しくなってしまった。そして僕は、自分の携帯サイトを開設した。受験生なのに何をやっているのかという感じである。もちろんサイトの内容は、「プロフィール」「掲示板」「100の質問」「リンク」などが並んだ、昔のオタクが作りがちなカスみたいなものだ。そしてこの「Rayeの日記」という名のブログも、携帯サイトのコンテンツの1つとして誕生した。携帯サイトの運営も初めは楽しかったが、こんなカスみたいな内容では当然すぐに飽きが来てしまった。そして結局、1年もしないうちに閉鎖に到り、このブログだけが残ったのであった。

そんな携帯サイト時代だったが、当時サイト経由で知り合って、今なおつながりが残っている人も実は何人かいる。とてもありがたいことだと思う。


高校3年の冬頃、ビッグニュースが飛び込んできた。DDR SuperNOVAの発表である。当然、僕はかつてないほどに狂喜乱舞した。しかし、もし大学受験に失敗し、翌年度に浪人生なんかになってしまったら、せっかくのDDR新作を存分に楽しめない。そのため僕は、自室の壁に「受かればSuperNOVA」と書いた紙を貼り、毎日それを眺めて受験勉強の最後の追い込みをかけるのであった。今思えば、中学3年の冬〜大学1年の夏というEXTREMEの稼動期間は僕にとっては絶妙に都合が良くて、もしこれが1年でもズレていたら、正直僕はDDRにうつつを抜かしすぎて大学受験に失敗していたと思う。


高校卒業を間近に控えた頃、ゲーセン友達の一人が「キッズクラブのハゲ店長にみんなで感謝の寄せ書きを書こうぜ」と言ってきた。僕にとっては6年間も世話になった思い出のゲーセンなのであるが、その提案を聞いたときの僕は結構ドライで、「なんでそんなことしなきゃならないんだよ馬鹿か」と思っていた。しかし特に断る理由もなかったので、僕も寄せ書きに参加した。そして完成した寄せ書きはその言い出しっぺの友人によって店長に届けられたのだが、僕はその現場にいなかったので、店長がどういうリアクションをしたかは不明である。

そんなキッズクラブであるが、僕たちが卒業した後、わりとすぐに閉店してしまったという話を聞いた。こんなことなら僕も店長にもっとお礼を言っておくべきだったかもしれない。高校卒業以来、もう10年以上鹿児島には足を運んでいないが、もしまた行く機会があれば、ぜひキッズクラブの跡地を訪れたいと思う。

(追記)
冷静に思い返したら2014年に仕事で鹿児島に行っていて、そのときは仕事が終わった瞬間にホテルでノートパソコン広げてネトゲをやっており、キッズクラブの跡地なんて毛ほども興味なかった。


続く。


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